携帯電話

随分前から、ちょっと気になっていた相手に初めてメールを送った。「事務的な用件だし、この連絡をしておかないと向こうだって困るよね」って頭では分かってるんだけど、どうしても「送信」のボタンを押す時はドキドキしてしまう。二十歳を過ぎて随分になるし、色々経験も積んできたつもりだけれど、まだまだ妙な所でウブだ。
私が携帯電話を持ち出したのは高校生の頃。今となっては考えられない事だけれど、当時、携帯電話でメールを送ると一通辺り十円も取られた。だから、「メールは一日三通まで」という自分内ルールを作ってできるだけ出費を抑えるようにしていた。そんな時代の夏休みの話。冷房が効いた祖母の家でテレビを観ていると、珍しい事にアメリカの人気ハードロックバンド(とは言っても、いわゆる『ビッグ・イン・ジャパン』に近いのだけれど)が地上波の歌番組に出演していた。ちょうどその一週間ぐらい前に当時好きだった人と二人で喋っていた時、相手がそのバンドを好きだと言っていた事を思い出した私は、慌てて携帯電話を取り出して、メールで「テレビに出てるよ!」と伝えようとした。だけど、できるだけさりげなく、淡々と情報だけを伝えるような内容であり、なおかつ相手に対する親愛の情がにじみ出るような文章にしようと思って、書いては消し書いては消しを繰り返しているうちに、いつの間にかくだんの大物ハードロックバンドの出番は終わってしまい、メールを送るタイミングは逸してしまったのだ。かくも迂闊な私は、携帯電話をソファに叩きつけて、そのままフテ寝してしまった。
もし、あの時、メールをちゃんと送れていればどうなっていたんだろう、って今でもたまに考えたりする。結局、その人はそれからしばらくして入院して、学校に来なくなって以来疎遠になってしまった。そういう時にこそメールなり電話なりでコンタクトを取っていれば良いのに、って今の自分なら思う。
最近で、「送信」ボタンを押すのにどきどきしているのは、恋人とは別の相手とデートをする約束を取り付けたり、雑談めいたものをする時のメールだ。その人とのメール履歴は恋人に見られないように片っ端から削除するようにしている。電話帳にも、男か女か分からないように「(苗字)さん」って登録していたり。これは、多分、恋人にバレる事を恐れている、というよりも、そういう三流ドラマの登場人物のような隠蔽工作そのものを楽しむ、っていう意識の方が強いんだと思う。あえてベタな事をしている自分を俯瞰視点から楽しんでいるようなものなのかも知れない。
今日の相手とのメール履歴は完全に事務的な内容だったし、これから恋人と会う予定も無いので削除していない。後で読み返して、先刻のドキドキ感を反芻して楽しんでみるかもしれない。私は、自分自身のそういう暗い所がちょっと気持ち悪い。でも、嫌いでは無い。