こうだったら良いのに

遠い国のお話。
その国には「英雄」として皆から愛されていたアスリートがいました。豊かな実績、朗らかな人柄、ちょっと間の抜けた言動、そういった全ての要素が彼の魅力を形成していました。
しかし、英雄といえども所詮は人間。よる年波には勝てず、ある日、急な病気で糸が切れたように亡くなってしまいました。いささか早すぎる死ではありましたが、総合的に見て幸せな人生を全うした、と言っても差し支えの無いような生涯だっと言えるでしょう。その死顔は非常に安らかであったとの事です。
しかし、ある、いざこざが起きました。英雄のスポンサーと、政府の権力者たちは、英雄の死を公表する事を渋り始めたのです。彼らは英雄がこれから先、まだまだ健在である事を予測した上で、多くのプロジェクトを進行させていたのです。世界的なスポーツイベントにおける国家の顔役、多額の経済効果がみこめるコマーシャルへの出演、英雄の功績を記録したDVDの販促キャンペーンなどなど。つまり、彼らにとって、英雄が今亡くなってしまう事は都合が悪かったのです。まだまだ国を代表するイコンとして存在し続けてもらわなければいけないのです。
そこで、彼らは、一旦英雄には「治療のために入院している」という事にしてもらい、その期間中、極秘裏に、英雄に似た風貌の男を探して、影武者に仕立て上げるプロジェクトチームを組織する事にしたのでず。影武者として白羽が立ったのは、南千住…じゃなくて、とある労働者街にいた一人のとび職の男でした。プロジェクトチームはとび職の男に多額の(とは言っても、英雄が得ていた年収の10分の1にも満たない額でしたが)報酬を渡して、彼の残りの人生を買い取ってしまいました。「これから残りの人生を、あなたはあの英雄として送ってもらいます」。自身もその英雄に多大なる憧れを抱いていたとび職の男は一も二も無く了解しました。その日から、徹底した影武者作りの日々が始まります。まず、とび職の男には整形手術が施されました。元から、英雄に顔立ちが似ていた彼の顔は、駄目押しの整形によって、まったくの瓜二つに仕上がりました。また、1日10時間以上、英雄の生前のビデオを観ながら、その細かい仕草や、些細な癖、発語の際のイントネーションをマスターするためのレッスンが行われました。英雄が、今までどういう人生を送ってきたのか、どういう経験を積んできたのか、どういう交友関係を築いてきたのかを、完全に暗記するまで何度も何度も教え込まれました。
しかし、元とび職の影武者は覚えが悪く、なかなか生前の英雄のようにはなれません。当初の予定では3ヶ月で表舞台に顔を出させるはずだったのですが、半年経っても、1年経っても、「復帰」の目処が立たないのです。プロジェクトチームは焦りました。既に一部の国民の間では「英雄はもう亡くなってしまったのでは無いか」という噂がまことしやかに流れています。
そして、英雄の死から1年と4ヶ月ほどが経ったある日、とうとうプロジェクトチームは影武者を世間の目に晒す決心をしました。影武者は、主に喋り方や、知識のレベルで、影武者はまだ、とても人前に堂々と見せられるようなレベルでは無かったのですが、細かい仕草等に関しては既に問題の無いレベルにまで成熟していたので、一切喋らず、カメラも近づけさせないようにすれば大丈夫だろう、と判断したのです。「英雄がかつて所属していたチームの応援にやってきた」という設定で、VIP席にいる姿をカメラに遠くから写させる程度なら世間の目は欺けるはずだ、と。
以下略